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  • 執筆者の写真如月サラ

明け方の六銃士


ずっと猫のことを夜行性だと思っていた。


3年前に縁あって立て続けに、私の狭い部屋にノルウェージャンフォレストキャットという毛の長い猫が2匹やってきた。どちらも生まれて数か月のあどけない男子である。


子を持つこともなく、きょうだいもいないので甥や姪もいない。小さな子どもとはまったく無縁の生活を送ってきたので、世話をしなければならない小さないきものとの暮らしは初めてだった。


正しくは、実家に飼い継いできた小鳥や犬や猫たちがいた。しかし彼らの世話のほとんどは母が担ってきた。気が向いたときに思いついたようになで回すだけだった私は、とても動物を育てていたことがあるとは言えないだろう。


何を食べるのか。どうやって水を飲むのか。どこでくつろぎ、どこで寝るのか。日中私がいない間は何をしているのか。鳴くのか。2匹は仲良くできるのか。どれくらい構えば良いのか。何もわからなかった。


こうやって始まったひとりと2匹の生活だったけれど、案外うまくいった。私達は気が合って、年長のほうの猫を頂点とする王国を築いた。私は彼らのしもべとして毎日せっせと世話をして、快適に暮らしてもらえるよう気を配った。


しかしちょっと不思議に思うことがあった。彼らは私が床につくと寝てしまうのだ。猫は夜行性だから、早寝の私が明かりを消すとそれから活動するものだと思っていた。時折、2匹で走り回り運動会を催すことはあったけれど、気が済むとまた寝てしまうのか、ぱたりと音が止んだ。


その代わり、目が覚めると彼らはいつも起きていた。そわそわと私の様子を伺い、起きてくるのを今か今かと待っているようだった。我が家では決まった時間に食事をしてもらっている。起き出して用意をするとカリカリと食べて、満足するとそれぞれ好きな場所でくつろぐのだった。そして昼間は寝てばかりいた。


あるとき、実家から来た4匹の老猫達がこの王国に加わった。飼い主が死んで1週間を生き延びた老いた元のら猫たちと、我が物顔で王国を闊歩していた北欧の森を故郷とする若い猫たちが同じ空間で交わるには、長い月日を要した。


私は慎重にことを進め、ついにふたつの空間を分けていた扉を開いた。それから6匹の猫たちは、それぞれに距離を保ちながらなんとか平和に暮らしている。


急な社会の変化でほとんどの時間を自宅で過ごすようになって、私は夕暮れ時にも彼らがそわそわすることに気がついた。食事を待っているだけではなく、どうしようもない衝動に突き動かされているようだった。


気になって調べてみると、猫は夜行性ではなく薄明薄暮性(はくめいはくぼせい)だとわかった。活動を主に明け方と夕方におこなう動物の性質のことをこう言う。獲物の行動時間に合わせた本能なのだそうだけれど、夜が朝に、昼が夜になるその変化の時間帯に本能が発動するなんて、なんと素敵なのだろうと思った。


明日もきっと、朝が来て目をひらくと、辛抱強く私の目覚めを待つ猫たちがそれぞれの場所でじっと私を見つめているだろう。朝日に照らされて半ばシルエットになった彼らのことを、私は密かに「明け方の六銃士」と呼んでいる。

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