久しぶりにGRを手に入れてからは、休日に撮影散歩をするようになった。街を歩き、気になる路地があれば入り、歩く。住宅街ではカメラをぶら下げていると警戒されるけれど、GRはポケットに入れているので気がつかれることもない。
ダウンの右ポケットにGR3x、左ポケットにGR3を入れ、右手でGR3xを握りハンドストラップを通していつでも取り出せるようにポケットに手を突っ込んで歩いている。ちょっとマニアックだが、今はこのスタイルが気に入っている。
先日は東京でもお洒落なエリアとして知られる港区のとある界隈を歩いた。ショコラティエやブティックが並ぶ華やかな通りを一歩入ると、そこには古い家が密集している一帯が広がっていた。
実はここだけではなく、都心には古い町並みがそこここに残っている。開発の谷間になってしまった場所なのだろうか。蔦に覆われ傾いた木造家屋、今にも崩れそうな外階段のついたアパート、もうやめてしまって久しいのにかつての商売の屋号を掲げたままの建物。静かなカオスだ。そして、表の通りとは打って変わって老人の姿が圧倒的に多くなる。
日本は既にどの国にも先んじて超高齢社会を迎えている。更新されることのないこういった一角は、いずれ人も家もともになくなっていってしまうだけなのだろうか。都市の廃墟とは、大友克洋が描くようなサイバーなものではなく、老いて朽ちてゆく景色なのだろうなあと考えていた。
路地を抜けると、そこにはまた整然とした美しく華やかな街が広がる。このとてつもないギャップが、東京という都市そのものなのだろうなと思う。
自宅に少しずつ近づくにつれ、なんとなく知っている景色のような気がしてきた。新しい建物が多いけれど、ぽつりぽつりと残っている古い一軒家に見覚えがある。30年前に住んでいたアパートの近くまで来ていたのだ。
記憶をたどりながらその場所を探す。大屋さんの住む大きな一軒家の2階が3つの独立した部屋に改装された下宿のようなところだった。3人とも女性のひとり暮らし。毎月、家賃を1階の大屋さんに手渡していた。おそらくもう残っていないのではないだろうか。
ここだったかなあ、という場所で、それまで握りしめていたGR3xをGR3に持ち替える。確信はなかった。ところが、少し引いてGR3を構えた瞬間に2階に掲げてある看板が見えて、様々な記憶が一気に吹き出すようによみがえった。
看板に書かれていたのはヘアサロンの名だった。当時一番奥の部屋にいた女性は大屋さんの娘さんで、そこにひとりでヘアサロンを構えていらっしゃったのだ。ああ、まだ彼女はここで同じ仕事をしているのだ。もうひとりの女性は画家だった。個展を見に行ったこともあった。今はどうされているだろうか。
美容師と、画家と、編集者。思えば東京らしい個性的な人々が入居していたアパートだったのだなあ。まだ先行きもわからぬまま、夢をいっぱいに持ちながら数年暮らした部屋のあたりに向けて、シャッターを切った。
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